いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう
by音のお母さん
音、たくさんの人に出会ってね。
自由にみて、自由に話して、好きなように生きて。
恋をして、そしていつか、たった1人の人に出会えるといいね。
その人はきっとあなたの質問に答えてくれる。
あなたの物語を聞いてくれる。
あなたが生まれたことを喜んでくれる。
愛するって、心から心へ、残していくことだと思う。
音が笑ってる時、お母さんも笑ってる。
音が走ってる時、お母さんも走ってる。
大好きな音。
持続可能な恋ですか
by杏花のお父さん(日本語学者)
「気持ちを伝えたい相手がいるということは幸せなことだ。」
「まあ確かなのは、私達の今この瞬間の気持ちだけです。
わたしぐらいの歳になると、先を見るのも難しく、日々、今の幸せを感じて生きていければ、それで十分なんです。」
「けっこん【結婚】
結婚とは、愛し合う他人同士が、わかり合いたいと願い、共に年を重ね、互いを慈しみ、それでもなお、分かり合えないことを知る営み。古来、人類が繰り返してきた、とわに続く愛情への無茶な挑戦。」
by颯
「それにな、虹郎。持続可能な恋は、叶わなかった恋だけなんだよ。」
10カウント
byきりしまコーチ
「もっと自分を信じろ(みんな自信なさげ)
…じゃあ俺を信じろ」
「どうにもなんないってことが人生にはあんだよなあ…
どうしたって抗えないってことが。
俺はそれを何度も思い知らされた。
生きてく理由もわからなくなるくらいに。
ボクシング部のコーチになるまでな。」
「でもな、お前にはまだ時間が残ってんだよ。
時間が解決してくれるわけじゃない。その間にお前が誰かと会って何か話して、何かを見て何か感じて、そうして人は変わっていけるんだと俺は思う。そう思う。
今はいいよ腐ってて。泣きたかったら思いっきり泣けばいいよ。
でも絶対に自暴自棄になるな。
西条桃介!お前1人じゃないからな!」
25歳に向けての自己分析
エージェントの人との面談をきっかけに、会社用、転職用じゃなく、純粋に私は何が好きで何がしたいのよって考えるための自己分析をした(完全に自分用の備忘録なので、読み物ではない)。
【私の心が動いた瞬間、強く搔き立てられた瞬間、モチベーションが高かった状況】
<高校生の時>
・青年期と哲学の学習
自分の生きている世界や感じていることを客観的かつ体系的に整理でき、非常に面白かった。
たとえば、青年期の部分ではマズローの欲求のやつとか、人の防衛機制のこととか、思春期の自分の感情や行動を整理できる気がして隅々まで勉強した記憶がある。哲学の部分では、どの哲学者もなるほどなさすが!と思うところはあったけど、「我思うゆえに我あり」はいつもその通りだ(だから今この瞬間の思考こそが私の存在意義だ)と思うし、カントのコペルニクス的転回もいつも本当にその通りだ(だから私のタンスの引き出しをできる限り増やしたい)と思って日々生きている。けど中でも、一番衝撃的かつその通りだと思ったのは、サルトルの「人間は自由という刑に処されている」ということ。まさに私という人間は、本質がわからないまま実存していると思った(そしてそのことが苦しいから誰かに意味を与えられようと依存してしまうけど、本当は私自身が本質を定義づけることでしか、私が生きる意味は生まれないと知っているから、今もこうして道を模索している)。
・世界史
世界史の先生がその教科を愛していて、私を評価してくれたから好きだったというのもあるけど、やはりそれ自体興味深い教科でもある。一番関心のあることは、なぜ日本は戦争をしたのか、なぜヒトラーが生まれたのか、なぜ歴史上ではありえないようなことが簡単に起こるのか。そしてなぜ今も起こっているのか(例えばコロナ禍で人をものすごく糾弾する風潮が一時的に生まれたこと)。
陰謀とか、一部の誰かが悪いとか、そういうことには興味はなくて、なぜ集団はそういう意味の分からないエネルギーを持って、一つ一つは間違っていないかもしれない選択の連続から決定的な間違いに至るのか。あるいはどのようにして原因となる一部の派閥や個人が生まれたのか。まだ問いの答えは出ていない。
<大学生の時>
・頑張ること・踏み出すことの原体験
1年の夏のアジアユースリーダーズで、英語力が足りないのに優秀な兄の名にあやかって申し込んで、そのうえ恥かいてでも喋ろうという気概も持てなかった。その時、「そんなんじゃ、これから先負けちゃうよ」とプログラム主催の人に言われたことが悔しくてたまらなかった。自分の英語力のなさも悔しかったけど、できないことで恥をかけない、役立たずの自分のプライドと、努力もせず漫然としてられる自分が悔しくて恥ずかしかった。
これをきっかけに長期休みにはいろんなプログラムに参加したと思う。↑の悔しさは、ラオスでガンガン恥かきまくって、下手な英語で平気でスピーチとかこなして、自分のプライドをぐっと押し込められたことが逆に自信になった気がする。あと、この程度の英語力でも本当に言いたいこと言うくらいはできるじゃん、と思ったのが自信になったのもある。
・自分に厳しくすること、違和感のある事をすること
大学の頃は、とにかく保守的で甘えている自分がかっこ悪くて悔しくて、ぶち壊そうともがいていたような気がする。一人で低予算の過酷めな旅行したり、ハードルの高い場所(ドイツの男女混合サウナとか、高いバーとか(笑))たくさん行ったり、留学もそうだし、ヒッチハイクとか、世の中の大学生が自分探しでやっているような合法なことは色々チャレンジしてみたような気がする。それによって何か確かなものを得られたわけでも、圧倒的な成長があったわけでもないけど、自分自身に「可愛い子には旅をさせよ」って言い聞かせる癖はついた。少しだけ、末っ子でわがままなだけのおまめさんな私とか、愛されていれば許されるって甘えがある女のコの私とか、そういうものを遠ざけられたような気がして、自分をちょっとだけ意志ある主体として認められるようになった。
・知らない世界を知ること
旅行でも留学でもエンカレッジでも、私の知らないものに触れることはとても面白い。特に、人がどう考えてそう動いたのかということを知るのは面白い。そういう意味では、異文化交流は割と向いている人間だと思うし、国際寮での生活とかそこで会った人たちとのコミュニケーションはそれなりに私の価値観を揺らしてくれた気がする。
この意味で、エンカレッジの面談の日々も、めちゃくちゃ面白かった。今はこの欲求をドラマ見たり小説読んだりすることで満たしているのかもしれない・・・。
・日本を変えること
エンカレッジで一番心が燃えたのは、やっぱり「心に火を、生き様に志を、日本に変革を」というミッション。
いろんな世界を見ようとしてきたけど、その中でやっぱり強く思うのは、日本に足りないのはビジョンだってこと。その点では、途上国のエリートより日本のエリートの方がよほど不幸だと思ってしまう。どこへ向かうのか示されないまま、沈んでいく予感だけがあるから、情熱を向かわせる場所とか吐き出す場所がない。社会に対して自分ができることへの自信がない。何も変えられないということが自明だと思われている。以前のような経済成長がないとして、経済成長だけを幸福や私たちの成果の指数とするなら、私たちはただ下り坂を下っていくことしかできないことになるけど、 他の形でのシナリオや目標を示すことは本当に不可能なんだろうかといつも思う。私たちができないと思ってあきらめているけど、できることって本当はもっとあるはずだし、「そういうことより小市民としての幸せをとればいいじゃん」と考えている人も、絶対に後ろ向きな社会で生きるよりビジョンのある社会で生きたほうが楽しいんじゃないかと思う。私たち、自分で思っているよりも人生へのモチベ高いし、熱いと思う。だいたい、私たちの世代には、「小市民としての幸せ」だけを享受して生きていくだけの蜜はもう残されていない。
人生の中で、日本人のこのマインドセットを変える部分に何かしらの形で関わりたいような気がする。
・ 魅力的と思う人の中にいること、人間性を含めた実力が認められること
エンカレッジのモチベーションが最初から最後まで持続したのは、この部分が強かった。まずは自分が強く「この人の言うことは面白い」と思える人が近くにいて、私の活動を見ていてくれること。思えば世界史の先生、エンカレの社員さん、静岡支店の上司みたいに、自分の直属の上の立場の人が面白い人であり、かつ私を一人の人間として認めてくれているということが大事だったように思う。
人への関心の持ち方としては、その人の自分自身や人間や社会というもの自体への仮説があり、それを磨き続けているような人が好きだ。人や社会についての探求心と洞察力がある人が好きだ。
自分の認められ方としては、一番優秀だ、といわれるというよりは、「いろいろな力がある中で私にはこういう力があるね」という風に能力の個性を認められることが好きだ。今でも辻さんに「萌は絶対に人生のどこかで人事をやった方がいいよ。人を見る目がある。」って言われたのはうれしかった。NHKの採用担当の人事さんに、「人の懐に入って、関心の赴くままに人の話を聞いて、直線距離のコミュニケーションができるから、記者になるには天性の才能だね」といわれたのも今でも強く残っている。
<社会人になってから楽しかった仕事・要素>
・金融市場局(2019~)
金融市場の動きを通して、社会の動きに逐一触れられて、それについて学んだり考察したりできる仕事があるのは面白かった。株価や為替や金利という数字の変化として仕事上では現れてくるけど、こういった数字は人々の予測と心理状況とそれに基づく行動で変化しているものなので、その変化についていろいろと考えられることは面白かった。あと、米中貿易摩擦とかダイナミックな世界の変動、歴史的な瞬間に立ち合えて、そこに関わって仕事ができることには、素直に興奮した。
・静岡支店(2020~)
コロナという大きな変化の中で、その影響を一番受けやすい個人消費(小売・観光など)を受け持ったことは、非常に貴重な経験だった 。こうした変化の中で、各企業の社長さんたちがどんな局面に立ち向かい、どんなことを考えて、どう努力しているのかということを直接聞き、整理できたことが私の心を掻き立て、興奮させた。
そのうえ、支店で人数が少ないだけに私自身が一人の戦力として認められて、かつ人数が少ないために個々の個性が認められながら仕事をしていたような部分があり、面白かった。
・金融機構局(2021~)
市場局の時と同じように、何か大きな変動が社会に起こっている時に、そのことがそのまま私の仕事に繋がっていく感覚が好きだ。それから、ネット系証券のような新しい業態がいま日本の金融の将来にどんな見通しを持っていて、どんなふうに変化を起こそうとしているのか知ることも興奮する。
行為自体としては、違う立場にある人に会って話を聞いて、それを事後的に整理するということがすごく好きで、そういう仕事がある点でうちの仕事も楽しいと思える。
ブルシットジョブ
「このばあい、金融やロビイ活動は、ブルシットジョブではなくなる。つまり、彼らは実質的には殺し屋に近いのだ。」
「わたしが最も触発された説得的な議論は、かつてストリップ・ダンサーで現在は教授職にある女性からのものである。彼女の主張は、性労働の大半はブルシット・ジョブとみなせるというものだ。彼女も、性労働が消費者からの正真正銘の需要に応えるものであることは了解している。とはいえ、それは社会にとって、なにかとてつもなくひどく誤ったことなのだと彼女はいう。というのも、それはとどのつまり、女性人口の圧倒的多数に対して、彼女たちが、その後にどんな人生をたどろうが、どんな才能があろうが、なにを成し遂げようが、一八歳から二五歳のあいだにお立ち台で踊ることのほうが価値があると社会が語っているようなものだからである。かりに世界的に認められた学者として講義する女性がおり、同一人物の女性が〔研究職として稼ぐ〕五倍の額をストリップによって稼げるとしたら、まさにそれゆえに、ストリップの仕事は、ただただブルシットなものだとみなしうるのではないだろうか。」